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降伏文書(こうふくぶんしょ)とは

降伏文書(こうふくぶんしょ)とは一般には降伏時に交戦国により取り交わされる文書を指すが、本項では特に昭和20年(1945年)9月2日、戦争状態にあった日本と連合国との間で調印された休戦協定の名称である降伏文書について説明する。文書名はInstrument of Surrenderであり、同日公布された官報号外の翻訳名が降伏文書である。ポツダム宣言の履行、日本軍の無条件降伏、天皇及び日本国政府の国家統治の権限が本降伏条項を実施する為適当と認むる処置を執る連合国最高司令官の制限の下に置かれる事が条約として正式に合意された。

東京湾上の米・戦艦ミズーリに於いて調印された。日本側は天皇・日本政府の命に依り且その名に於いて重光葵外相が、また大本営の命に依り、かつその名に於いて梅津美治郎参謀総長が署名した。連合国側は連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーのほか、合衆国代表、中華民国代表、イギリス代表、ソ連代表、オーストラリア代表、カナダ代表、フランス代表、オランダ代表、ニュージーランド代表が署名した。

イギリス海軍提督ブルース・フレーザー卿(イギリス海軍太平洋艦隊司令官)は8月16日にミズーリに乗艦し、ハルゼー提督に大英帝国勲章を授与した。ミズーリは8月21日に東京に上陸する占領部隊のため200名の士官及び兵士をアイオワ(USS Iowa, BB-61)に移乗させる。その後8月29日に降伏調印式準備のため東京湾に入る。
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大日本帝国の降伏文書調印式は9月2日に東京湾(浦賀水道内の城ヶ島と館山の間あたりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、中華民国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、ニュージーランドが調印して日本の降伏を受け入れた。全ての連合国軍高官がミズーリに乗艦した。チェスター・ニミッツ海軍元帥は08:00直後に乗艦した。連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー陸軍元帥は08:43に乗艦し、日本側全権代表団は08:56に到着した。代表団は重光葵政府全権(外務大臣)と梅津美治郎大本営全権(参謀総長)、随員は参謀本部第一部長宮崎周一陸軍中将、終戦連絡中央事務局長官岡崎勝男、軍令部第一部長富岡定俊海軍少将(豊田副武軍令部総長は出席拒否、次長の大西瀧治郎中将は自決)、内閣情報局第三部長加瀬俊一、大本営陸軍参謀永井八津次陸軍少将、海軍省出仕横山一郎海軍少将、終戦連絡中央事務局第三部長太田三郎、大本営海軍参謀柴勝男海軍大佐、大本営陸軍参謀杉田一次陸軍大佐であった。09:02にマッカーサー元帥がマイクの前に進み、降伏調印式は23分間にわたって世界中に放送された。式中ミズーリの甲板は2枚の星条旗で飾られた。1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(連邦48州の星が描かれた星条旗)、もう1枚は1853年の黒船来航で江戸沖に現れたマシュー・ペリーの艦隊が掲げていた物(連邦31州の星が描かれた星条旗)であり、90年越しの勝利として日本に屈辱を与えた。


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2009年06月10日 06:39に投稿されたエントリーのページです。

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