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撓、竹刀と防具の発明

古くから多くの流派で独自の袋竹刀(ひきはだ撓)や小手を使用した稽古は行われていた。ただし多くの場合形稽古が中心であり、試合稽古は技が乱れる、理合の習得が出来ない等の理由によりあまり行われていなかった。江戸時代中期 - 後期にかけて現在の剣道の防具と竹刀の原型が直心影流で発明され、続いて中西派一刀流(小野派一刀流)でも発明された防具と竹刀を採用した。

その後急激に竹刀と防具着用の試合稽古が流行し、各流派で試合稽古が行われるようになった。逆に尾張藩の新陰流や岩国藩・長州藩の片山伯耆流 、弘前藩の當田流などといった、木刀や袋竹刀での形中心で防具着用の試合稽古を取り入れなかった流派には門弟の数に著しい増加はなかった。また流祖以来試合を禁じていた流派が、やむなく試合稽古を行うようになった記録等も残っている(島津家中における示現流などの例外はある)。

北辰一刀流・神道無念流・心形刀流・鏡心明智流・天然理心流等、新興の試合稽古重視の流派が各地に誕生し、流派の総数は一説には全国で700から800あったと言われている[要出典]。

剣客を生んだ地域を見ると、剣術道場の多かった関東地方(関八州)や、倒幕運動に積極的な薩摩国・土佐国が知られる。黒船襲来後の攘夷の高揚と国内の政争により新選組誕生し、禁門の変・長州征伐・戊辰戦争などに関与し、明治維新に到るのであった。

1876年(明治9年)3月28日、廃刀令が公布され帯刀が禁止されるとともに、剣術は前時代のものという風潮が強まった。

しかし、1877年(明治10年)、西南戦争での警視官(当時の警察官の呼称)によって編成された抜刀隊の活躍ゆえに、警視庁では警視流木太刀形が制定されるなど、剣術推奨の方針転換がなされ、剣術の復興の動きの端緒となった。後には巡査に対して必修となり、各警察署で指導のために剣術家が採用された。

これは銃器の貫通・殺傷力向上や、後込め式小銃による火力の向上の結果として甲冑の意義が薄れ、歩兵は軽装となったがゆえに、かえって近接白兵戦の有効性が再認識されたためである。ただし大日本帝国陸軍では警察での剣術推奨の方針とは異なり、1884年(明治17年)にフランス陸軍より教官を招聘し、日本の伝統的な剣術を廃してフェンシングを訓練させている。陸軍で日本式の剣術が復活するのは1894年(明治27年)以降のことだった。

またこのころ榊原鍵吉により撃剣興行が盛んにおこなわれ好評を博したが、後に廃れた。

明治末から大正にかけて、大日本武徳会が武術を武道に、剣術を剣道に名称を変え、旧制中学校で剣道を教えたため剣道が一般にひろまったが、この頃は剣道と伝統的な剣術との違いが余り認識されておらず、積極的に剣道の試合に出る流派も少なくなかった(明治末?戦前期の文献では、現在一般にいうところの剣道を含めた日本剣術全般を「剣道」と称することが多い。当時としてはむしろ、一般に普及した剣道を、「剣術(剣道)の一流派」と認識していたのかもしれない。実際、「武徳会流」という呼ばれ方をすることもあった)。また、現在の剣道とは異なり、足払いや投げ技や抑え込んでの防具の面の剥ぎ取りも有効であった。
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太平洋戦争での敗戦後、GHQにより武道(武術)が禁止され、剣道も「しない競技」と名前を変え競技性をより重視するようになり、伝統的な剣術との違いが大きくなった。このような状況下で剣術を稽古する者は少なくなり、武道禁止解禁後も剣術は各流派道場でのみ行なわれるようになった。

なお、小野派一刀流や直心影流剣術など、剣道と併習する者が比較的多い流派もある。また、中山博道・羽賀準一の流れを汲む一剣会羽賀道場や日本剣道協会では、戦前のままの足払いや投げ技も有効な稽古を行っている。

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2009年06月06日 10:39に投稿されたエントリーのページです。

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